武術でも正中線ということが重要視されますが、正中をまっすぐな硬直したラインと考えてしまうと、柔軟な動きをつくりだすことができなくなります。それじゃ正中線といわれるものは何かということになるのですが、私は呼吸軸として考えてみたいのですが、このことについては身体呼吸道のブログの方でみてみたいと思います。ここでは、身体の正中について機能神経学的に考えてみようかと思います。
視覚的な正中
正中というと視覚的なイメージとして最初に頭に浮かんできます。視覚的に真ん中をどのように認識しているのか先ず気になります。
視覚系のしくみを観ますと、左視野と右視野が重なって中央の視野になっていますが、これは網膜の中心窩から後頭極のV1(第一次視覚野)への投射となります。目の前の人物像がイメージとしてどのように写し出されるのか、実際はニューロンの活動なのでイメージというのは正しくはないのですが分かりやすく比喩的に言いますと、左右の半身が中央で分断され左右/上下に逆転したかたちに分かれます。注視された中央で左右が分断されて、右視野と左視野が、左右の大脳半球でそれぞれ分かれて処理されます。
人物の顔を注視しているとすると、顔の正中は上の図の垂直子午線と示される一次視覚野V1と二次視覚野V2との境の神経細胞に投射されるということらしいのです(岩村 吉晃氏)。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2001dir/n2448dir/n2448_01.htm
視覚的には対象物の正中ということになりますが、自分の身体の正中となると事情は変わってきます。何をするにしても自分自身の身体と姿勢が、ほとんど意識されずに頭の中で把握されていることは自明です。自分自身の主観的な正中と、対象物の正中の認識のしかたが当然のことながら異なっています。自己の正中の認識には、視覚系とは別のルートからの感覚情報の統合が必要です。身体感覚としてのイメージには、体性感覚、固有感覚、それに前庭感覚の統合が必要になってくるのです。
正中は左右の統合から生まれる?
生まれて間もない幼児は、左右の手足の動きはバラバラで、左半身右半身が一つになっていない印象があります。左と右が一つに統合されてはじめて身体が目的にかなった動きができてくることになります。たとえば両手指で何か細かいものを扱う時には、両手が正中線のすぐ前にきますから、左右の大脳半球にある2つの独立した手指の領域は脳梁を介して連絡する必要があります。したがって、左右の四肢がたがいに協調して複合された運動には中心となるものが想定され、こうした複数の中心が身体正中に沿って配列することが考えられます。そうした複数の中心が成すラインが、正中線として想定できるのではないでしょうか。したがって正中線は立位の時の直線だけとは言えず、身体のさまざまな動きにおいて柔軟に曲線を描くこともあるわけです。
左右の半身が正中を結び目としてどのように脳内で一つに融合され認識されてゆくのかと考えてみると、とんでもなく不思議な脳の世界への入り込んでゆく気がします。
はたしてどのようなプロセスをたどるのか、また続きを考えてゆきます。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2001dir/n2448dir/n2448_01.htm
視覚的には対象物の正中ということになりますが、自分の身体の正中となると事情は変わってきます。何をするにしても自分自身の身体と姿勢が、ほとんど意識されずに頭の中で把握されていることは自明です。自分自身の主観的な正中と、対象物の正中の認識のしかたが当然のことながら異なっています。自己の正中の認識には、視覚系とは別のルートからの感覚情報の統合が必要です。身体感覚としてのイメージには、体性感覚、固有感覚、それに前庭感覚の統合が必要になってくるのです。
正中は左右の統合から生まれる?
生まれて間もない幼児は、左右の手足の動きはバラバラで、左半身右半身が一つになっていない印象があります。左と右が一つに統合されてはじめて身体が目的にかなった動きができてくることになります。たとえば両手指で何か細かいものを扱う時には、両手が正中線のすぐ前にきますから、左右の大脳半球にある2つの独立した手指の領域は脳梁を介して連絡する必要があります。したがって、左右の四肢がたがいに協調して複合された運動には中心となるものが想定され、こうした複数の中心が身体正中に沿って配列することが考えられます。そうした複数の中心が成すラインが、正中線として想定できるのではないでしょうか。したがって正中線は立位の時の直線だけとは言えず、身体のさまざまな動きにおいて柔軟に曲線を描くこともあるわけです。
左右の半身が正中を結び目としてどのように脳内で一つに融合され認識されてゆくのかと考えてみると、とんでもなく不思議な脳の世界への入り込んでゆく気がします。
はたしてどのようなプロセスをたどるのか、また続きを考えてゆきます。